3年が過ぎたのだ

7月10日にセント・パンクラス・キングズクロスを通ったとき、駅のあるコーナーに花がたくさんあるのに気づいた。そうか、そうだったなあと。

ロンドンの同時爆破テロは2005年の7月7日、私はその時ロンドンにいました。今年の7月7日時点ではコッテリ忘れてたけど、8日か9日くらいに、最近寒いな〜、そういえばテロの時も寒かったなあと、思い出したのでした。
そうそう、あの年もサミットをスコットランドでやっていた。 そのときを狙ったのではないかとか、言われてたっけ。 ちょうど前の日にロンドンでオリンピック開催が決まって、トラファルガー広場で大騒ぎ、でも次の日には誰もいない、みたいな。

当時私はベイズウォーターという場所の安ホテルにいて(一人)、朝ネットカフェでメールチェックしてたときに、ラジオが「えくすぷろーじょん」という言葉を連発していたが、ちょっと前?にスペインで列車爆発テロがあってイギリスはその報道をよくしてたから、それだろ〜とあまり聞こうともせず、気付かず…リスニング力の問題かもしれないけど、でも、自分がいるところでテロが起きるという想像力が欠けてたんですね。
外に出たら電器屋のテレビの前に人だかりができていて、これはロンドンじゃないか!と気づく。ベイズウォーターは爆発があったエッジウェアロードに近いけど、駅が閉鎖されているだけで、状況はなにもわからず。

電車止まってるし、とりあえず超寒いので何か羽織るものを買おうと近くの駅ビルに入るが、店がどんどん閉まる。1軒だけ空いてた店でぱぱっとお昼食べて、部屋に帰ってみたらテレビが壊れててなんもわからんの(>_<)

何もできないので、好奇心もあって近くのターミナル駅パディントンまで歩いて行ってみることにした。大きな駅に行けば何かわかるかもしれないし、私は次の日移動する予定だったので、電車が動くかどうかも心配だし。

パディントンまでの道は、寒いけど夏の陽がさんさんと射していて、人々は静かに何事もなかったように歩いていて、平和な光景そのものだった。
あの日のことで特に印象に残っているのは、この平和な光景と、人々の静けさ。
騒いでいる人も泣いている人もおらず、パディントンに着いてもただ電車が止まってるだけ。そして人々は静かに長い列を作ってタクシーを待ってるだけだった。まあ特に倫敦人はクールなのかもしれない。あるいは、IRAのテロで爆発には慣れてる、という意見もあり。IRAのテロは頻発していたし、ボムスケア(爆発予告)はほんとにしょっちゅうだったようだからね。

普通の顔で日常をつづけること、がアメリカ人とは違ったイギリス人の意地あるいはプライドだったのかもしれず。しょっちゅう止まる電車だけど、次の日ちゃんと電車は動いて、私はロンドンからストラットフォードアポンエイヴォンに移動できた。

その後のレイシズムの広がりとムスリムへの攻撃、容疑者への誤射、などはほんとにdepressingなことで、それは今だって解決してないだろう。移民規制の要因でもあるだろうし。
でもあのときは、それこそロンドンに住む多様な人種の人々が、通勤途中に何十人も殺されたり重傷を負った、ということは、全然実感として感じられなかった。

3年が過ぎたけど、昨日キングズクロスに置かれた花束と長文の手紙やカードを見て、いくら時間がたっても遺族の悲しみは癒えないだろうし、政治はどうしていつも理不尽な暴力をまき散らすだけなのだろう、と悲しくなった。私たちには本当のことはなかなかわからないけど、自爆した若者たちも「自爆させられた」可能性大らしいし。

でも、つまり、ロンドン人には、いつテロが起きてもおかしくない、という微妙な緊張感、あるいは皮膚感覚みたいなものがあるんだろうと思う。当り前だけど、自分をふくめ東京人にはそれは全く感じられない。

今回のサミットで、日本の政治的影響力のなさが批判されたらしいが、それでもなんでも日本、東京は世界政治と経済の渦中に否応なく巻き込まれていると思うんだけど(つまりいつテロが起きるやもしれない)、東京を歩く私たちにその感覚は全くないといっていいと思う。東京ってゆるくて安心する〜っていつも思う。でもこんなにゆるくて大丈夫か?とも思ったりして。東京からヒースローに着くと、別に見た目はそう変わらないし、機械類は東京のがずっと進んでる(!)けど、テンションの違いに勝手に心臓バクバクしたりします(私だけだろうが)

総括しはじめる

去年の8月15日にイギリスに来て、もうすぐ1年がたとうとしている。
その前に私はイギリスへ2004年以降6、7回来ていて、一回の滞在はだいたい2週間くらい。だいたい一人で来ていた。
今だってフラットメイトや近い友人にイギリス人はいないし、イギリス人と深く知りあっている、ということはないけれど、ここ4、5年にわたって見ていたイギリスの姿を、本当に一部分ではあるけれど、私なりに総括しようとしている感じがある。おそらく今度の帰国以降は、そんなにしょっちゅう来れないだろうし(お金ない…)。

初めて来たのは2004年の2月だか3月。レディング大学で資料調査していたが、ロンドンで演劇を見たかったのでロンドンに滞在。うち1泊2日でストラットフォード・アポン・エイヴォンへ行く。シェイクスピア劇を見に。この時点で私のイギリスイメージは、白人ミドルクラス、シェイクスピア、ウエストエンド、的なツーリスト感覚を出ていなかったが、それまでやっていたアイルランド演劇をやめて、シェイクスピアを中心としたイギリス演劇への転向のきっかけとはなった。この時期、大学の研究職に期間限定で籍があったおかげで、校費で行かせてもらっていた。研究テーマもろくに固まってないだめだめ大学院生に、よくこんなぜいたくなことをさせてくれたと思う。でもその後続けてイギリス社会と、イギリス演劇を見ることができたおかげで、私のイギリスイメージは非常に大きく変わった、と思う。

でもまず、イギリス来たとき、アイルランドちっちゃいな〜って、思っちゃったんだよね。作家自体はまったく小さくないですが…
今では、アイルランドのことだってちっとも見えてなかったと思うんだけど、それまでアイルランド!一辺倒だったから、イギリスのDiversity(多様性)に圧倒されたのは事実。やっぱりアイルランドって小さい国で、ダブリンは首都だけどすごく小さな、こじんまりとした街って思ってたから。ロンドン、だって実は東京に比べればちっさいけど、すごいぜ!って思ったんだなあ、あのとき、って、思う。

けっきょく、なんの因果か2005年の同時爆破テロのときも私はロンドンにいたし。

いまはロンドンにはいないんだけどね〜(@_@;) 

あと1ヶ月

まだ日本にいます。
イギリスへの出発が約1ヶ月後に迫ってきました。
自分のためにぼちぼち日記を書いていこうと思います。

昨日は高校の友達5人が送る会を開いてくれました。
もらったもの:こまつなの種、手作りのポーチなどなど

うまく育てば、小松菜はありがたいだろう。プランター買えるかな。こっそり大学の敷地に植えたりできないかしらん。

いろいろあって今のところあまり気持ちが前向きにならないのだが、まあやるしかないのだ。行ってしまったらそんな贅沢も言ってられないだろうけど。

ヴィザはまだ来ないけどもう申請出したし、携帯の手配もしたし、保険も入ったし航空券も買ったし、スカイプも使えるようになったし、あとは英語をもーれつに勉強&もっとちゃんと本を読むこと、である。仕事しながらなので、平日は使えないためつらい。

サイード『オリエンタリズム』はまだ全然読み終わらない。なんでもっと前からちゃんと読まなかったのか。大学2年生のときに買ったのに!
大体の理論的枠組はまあつかめるけれど、自分でびっくりしちゃうが文学の知識がなさすぎて細かいところがわからん。フローベールとか、コンラッドとかシャトーブリアンとか、ぼんやりともイメージが掴めなくて困ってしまう。もちろんまだ英語では全然読めてない。
同時に『知識人とは何か』も読んでいるけれど、こちらはまだ何とかなる。ただこれを読んでいると、私なんか研究する資格はないのではないか、と思われてくる。
まあサイードと同じ次元で考えるのも笑止、だけれども、年をとってくるにつれて、孤高に、権力に属さずに弱者の側に立って生きていくことの厳しさ、孤独の重みにはとても耐えられない、と思うようになった。

基本的なことかもしれないけれど、サイードの『オリエンタリズム』はフーコーの言説分析の方法に多くをおっていること、そしてサイードが『知識人とは何か』においてアドルノへの深い尊敬を表していること、は発見だった。

今日は他に本橋テッド先生の『ポストコロニアリズム』のファノンの項を終えて、サイードの項に入った。この本はぼろくそに批判されてるみたいね〜 まあ早書きだからな…

最近どかっと本を購入し、読むべきものは山と積まれている。
原書で買ったMonica AliのBrick Laneにはまだまだ手がつけられそうにないけれど、読みかけの『文学とは何か』を早く終えて、せっかく買ったラシュディの『真夜中の子供たち』をちゃんと読みたいものだ。わけのわからないラインナップだね。

日本を出る前に『文化と帝国主義』までいけるかな。
ていうか、そういう本はもっと前にちゃんと読んでおかなければいけなかったのだった。
でもようやく、多少腰を落ち着けて読んでみると、まだまだ私には難解だけれども、久しぶりに知的興奮を覚えたりもして、研究する意義を思い出したりもしたのでした。